福井淳一さん(フィリピン)が、マニラにある介護士養成学校で、紙芝居を使って認知症の講義を♬

守破離…
《1人の100歩より、100人の1歩をカタチに》
《介護職に世の光を…から"介護職を世の光に"へ》※

きらめき認知症トレーナーの福井淳一さん(フィリピン)が、マニラにある介護士養成学校で、紙芝居を使って認知症の講義を♬
認知症は日本だけじゃなく、世界中の誰にとってもジブンゴト…
介護・福祉に携わる一人ひとりが、自身の学びを興味を持ってもらえるよう、わかりやすく伝えていくこと、大事ですね!〜
きらめいてます*\(^o^)/*

福井淳一トレーナー↓
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以下、福井淳一さんの投稿(2025.3月)、原文そのまま掲載…
越境に必要な資質は、勇気と謙虚さ
マニラにある介護養成学校で、認知症ケアの講義を行いました。この学校は、私にとって特別な場所です。
15年前、何のつてもないままフィリピンに飛び込み、ここで学んだことが、今の私をつくる大きな転機となったのです。
2008年、私は世界一周の旅をしていました。
ある日、ペルーで一通のメールを受け取りました。そこには「日本がフィリピンとインドネシアから介護人材を受け入れることになった」と書かれていました。
次に向かうのはケニア、そしてインド。その先は決めていませんでした。でも、「だったらフィリピンに寄って、フィリピン流の介護を見てみよう」と思い立ち、旅のルートを変えることにしました。
とはいえ、フィリピンに知り合いは一人もいません。当時はネットもSNSも今ほど発達しておらず、どうやって現地の介護に近づけばいいのか、まったくのノープランでした。
そんなとき、インドから一緒に旅をしていた友人が英語を学ぶことになり、彼の先生が「これからカナダで介護士として働く」と話してくれました。なんと彼女は介護学校を卒業したばかりだというのです。
これはチャンスだと思い、彼女に頼んで紹介状を書いてもらい、それを片手に学校へと飛び込みました。
世界一周旅行中の小汚い格好では失礼だと、近くの古着屋でポロシャツを買い、その場で着替えました。名刺も持っていなかったので、紙を適当に切って自作しました。
そして学校に行くと、偶然にもオーナーがいました。
「フィリピンの介護を学びたい」と、直談判でお願いしました。旅人風の怪しい日本人に、突然「授業を無料で受けさせてほしい」と言われたら、普通は断られるでしょう。
でも、奇跡的にその願いは通じ、私はフィリピン人の学生とともに、約半年間、介護の授業を受けることができたのです。
あのとき、あの学校で学ばなければ、今の私はいません。間違いなく、人生のターニングポイントでした。
先月、日本から来たゲストを連れて、久しぶりにその学校を訪れました。すると、当時の先生が、まだ働いていました。15年ぶりの再会です。
「あのとき、日本の介護技術の参考書を英訳してくれたよね、まだあるよ。」と、先生はそう言ってくれました。
図々しくも無料で授業を受けさせてもらったので、せめてものお礼にと、私の拙い英語力を振り絞って英訳したのです。私の記憶から消えていたことを、先生が覚えていてくれていました。
あの頃の自分が、ここに確かに存在していた証が、今も残っている。一気に当時の記憶が蘇りました。
せっかくだから、一度この学校で授業をさせてもらえないか——そうお願いして、今回の認知症ケアの講義が実現したのです。


当日、15年前の私の先生も講義を聴きに来てくれました。学生たちには「私はこの学校の卒業生です」と伝えると、驚きとともに、歓声が上がりました。
「人生の伏線を回収した」
そうカッコよく言いたいところですが、実際はすべて偶然の積み重ねです。ただ、たまたまとはいえ、あのとき飛び込んだからこそ、今の私があります。
介護を「KAIGO」に変えるための3つの越境——それは、あれこれと難しく考えるより、まず飛び込んでみることが大切なのだと思います。
丸腰で飛び込む「勇気」と、丸腰になって得られる「謙虚さ」を携えていけば、けっこう道は拓けるものです。
今更ながら、15年前の自分には「グッジョブ」と言ってあげたいです。
※糸賀一雄氏…「この子らを世の光に」から援用。。
The Essential Qualities for Crossing Borders: Courage and Humility
Recently, I gave a lecture on dementia care at a caregiver training school in Manila. This school holds a special place in my heart.
Fifteen years ago, without knowing anyone in the Philippines, I took a leap of faith and studied caregiving there. That experience became a major turning point in my life.
In 2008, during my round-the-world journey, I came across a piece of news:
“Japan will start accepting caregivers from the Philippines and Indonesia.”
This caught my attention, and I decided to alter my travel plans to see Filipino caregiving firsthand. However, I had no connections and no clear idea of how to get involved in the local caregiving field.
By chance, I met someone who introduced me to a caregiver training school. With a letter of introduction in hand, I visited the school and directly negotiated with the owner.
Miraculously, I was accepted, and for six months, I studied caregiving alongside Filipino students. That experience has shaped who I am today.
Last month, I had the opportunity to revisit the school and reunite with my teacher from 15 years ago.
To my surprise, the teacher still had the Japanese caregiving textbook I had translated into English back then. They remembered me, even though I had completely forgotten about the translation.
Feeling a deep connection to my past, I asked if I could give a lecture at the school, and my request was granted.
On the day of the lecture, I told the students, “I am a graduate of this school.” They responded with surprise and excitement.
Reflecting on this journey, I realized that my path was not carefully planned but rather a series of coincidences that led me here. However, it all started with the courage to dive in and the humility to learn with an open mind.
Looking back, I can confidently say to my younger self, “Good job!”